はたらくはは

雑草は
あっという間に
わが家を席巻する

そこで
でっかい剪定ばさみやら
草刈りはさみやら

つい母は
通販で刈ってしまう

日曜にぼーっとしてる
ぐうたら娘に
文句も言わずに

蚊取り線香をつけ
完全防備体制で
母は黙々と草を刈り始める

娘は
つい
スマホカメラを
構えてしまう

まあ、許せ

このあと
娘も
草刈りをした

このあたりの方言を
借りれば

“がまだしもん母娘”
なのであった

紫陽花さまざま

よく
「紫陽花は酸性土だと赤くなる」とか
たまに
「放射能で赤くなる」とか
いわれることがある

さて
うちの庭先の紫陽花は

一本の木に

さまざまな色で咲いている

よくみると

一つの花の中にも
ピンクから青紫の
グラデーションだったりする

好き勝手に

ありのままに咲いている

夜の雨に打たれて

今朝は一段と色が鮮やかになった

はいどれいんじゃ

6月に入って
ようやく雨らしい雨が降った

昨夜から嵐で
今日も相当降ると覚悟して
着替えまで持って行ったが

案外早く上がり
午後には薄日が射すほどだった

6月といえば

紫陽花の季節である

ふと
紫陽花は英語で何というのだろうと
ググってみると

hydrangea

ちょっと発音は難しそうだ
「ハイドレインジァ」
というのが近い日本語表記らしい

「ハイドレインジァ」
ちょっと覚えづらいな

灰ドレ隠者

ううーん、
「モモ」に出てくる
“灰色の男たち”のようだ

おバカなことばかり言ってないで
時を大切にしよう
6月10日は時の記念日だ

追伸
語源までググってみたら
ギリシア語の
「ハイドロ:水」と
「アンジェイオン:容器」
が組み合わされて「水の器」
となったのが由来らしい!!

麦焦がし

仕事を終えて外に出ると
香ばしい香りがした

麦刈りの季節である

刈ったあとを焼いている

ホントは
勝手に燃やしては
いけないらしいが

この辺りは
堂々と焼いている

なんとなく
煙っぽい

帰路につくと
なんとなくと言うモノではなかった

景色全体が煙っぽい
いたるところで焼いているのだろう

焼いて菌を殺すとか
焼いた後の灰が肥料になるとか
焼き畑農業(中学で習った南国の農法だ)
というものはよく考えたものだ

まあるくなーれ

いきものは
なぜ
球体になるのだろう

みごとに
まんまるのたんぽぽ綿毛

なんとなく
丸くなって咲く紫陽花

彼岸花や
アルストロメリアなど
花全体が球体っぽいのもある

りんごや
さくらんぼなど
丸い実をつけるものは多い

遠目に見れば
全体が球体になる樹木も多い

水も弾けて球体になる

高性能カメラ撮られた雨は
球体だった

魚の卵はひとつぶひとつぶは丸い

人の赤ちゃんも
お母さんのお腹の中では
まあるくなっている

ダンゴムシは
触るとまん丸になる

まんじゅうも丸い

始めて行く家へのお土産は
丸い饅頭なのは

角がたたず丸くおさまりますように

と験を担ぐからだとか…

私ももうちょっと
丸くなれば
良いのかしら

丸くなって

たんぽぽ綿毛みたいに
どっかに飛んで行くのもいいかな

一ヵ月

ブログを始めて一ヵ月

三日坊主どころか
一日も続かないわたくしめが
一ヵ月ほぼ毎日続いたことは
奇蹟といえる

「モモ」という小説に
“時の花”という記述がある

生きている
一瞬一瞬が奇蹟で
美しい“時の花”が開いて
光り輝いている

そんなイメージで
日々を過ごしていたい

だが
たいてい忘れてしまって

今日はブログのネタがない

などと
グチめいたことを
だらだら綴ってしまっている

“時の花”

昨日の雨で
あじさいが色づき始めた

ゆううつなことも
いつか光に変わる

いいことがあっても
そうでないことがあっても

今日も
好き日でありますように

雨あがりに

今日は雨あがりの帰宅ドライブを楽しんだ

山笑うというのは
こんな景色をなのだろうか

東側を見れば
新緑で疎らな緑の山肌が
少し傾いた陽をうけて
きらきら輝いていた

よーく見たら
うっすらと虹が立っていた

見とれてちょっと
車が左に寄ってしまった

西側は
芸術的な雲と光の展覧会

カーブを過ぎて
内海の向こうに現われる山は
20数年前に噴火で削れた岩肌と
再生した緑のディテールが
淡い光に輝いていた

美しく、豊かで
平和な世界の中に
私は生きている